和製オドラデクの生活環

きみの物語は終わった/ところできみはきょう/おやつに何を食べましたか――富岡多恵子「静物」

ジョーン・W・スコット『ヴェールの政治学』李 孝徳訳、みすず書房

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タイトルにある「ヴェール」とは、「ムスリム」女性のヘッドスカーフ(ヒジャブ)――特に1989年以降のフランスにおいて激しい論争の的となってきたそれ――を指している。
フランスでは2004年に公立学校におけるヘッドスカーフ着用を規制する法律が可決され、2010年には公共空間で「顔を隠すこと」を禁じる「ブルカ禁止法」が成立した。
同書(原書2007年)は前者のスカーフ禁止法成立に至るまでの歴史的経緯を、フランス的共和主義の抱える本質的な矛盾に肉薄しつつ非常に明快に論じたものである。
 
まず「ムスリム」という語がそれ自体、注意を必要としている。
スコットによればこの語は「北アフリカ出身の移民」の総称として用いられてきた――「北アフリカ人のすべてがアラブ人ではないし、アラブ人のすべてがムスリムでもなく、フランスにいるムスリムのすべてが北アフリカ出身でない」にもかかわらずである*1
このような雑駁な把握は「ムスリム」を「自らの文化や宗教のしるしを捨てようとしない外国人」(24頁)として怖れ、軽蔑することにつながってゆく。
 
しかしなぜ、それらの「しるし」(例えばヴェール)を「捨てる」ことが問題となるのだろうか。
それは――スコットによれば――フランス国民であるということが即ち「抽象的な個人」であるということに他ならないからである。
宗教や民族性といった各自の特殊な属性は(少なくとも公共空間においては)無意味なのであり、個人は互いに同質的でそれゆえ「普遍的」であらねばならない。
そして共和国が理念として掲げる「平等」が保証されるのは、ただそのような個人に対してのみなのだ。
それゆえ「ムスリム」との共生という問題は、専らその「同化」という観点から考えられることになる。
 
国家としてのフランスのモットーは「ひとつにして不可分」たることである。
実際そこではエスニシティや宗教に関する公的な人口統計が取られることはないのだが、しかしこれは必ずしも、差異に関する単純な寛容を意味するのでもない――というのも「抽象的な個人」の集合たるはずのフランス国民のなかに、そもそも差異なるものは存在しないことになっているのである。
 
一方では「フランス」がこのように普遍的かつ不可分な統一体として考えられ、他方では「ムスリム」なるものが、前者に対立する特殊な文化として――これもまたあたかも一枚岩の共同体であるかのように――表象される。
そして当然、このようなステレオタイプ化は対象を劣った存在とみなす眼差しを含んでいる。
それゆえアラブ人の同化は共和国にとってはその「文明化」として自覚され、ある種の使命として正当化されることになる(この種のロジックはあらゆる植民地主義的な思考に共通している)。
ところが問題は、この文明化の課題が実のところ、初めから不可能なもの設定されていたということである。
スコットはトクヴィルの発言を引きつつ、フランス人にとって「イスラーム〔という宗教〕はそうした〔「ムスリム」と呼ばれる〕人々が劣等であることの原因かつ結果」であったのだと説明する(56頁。傍点を下線に改めている)。
要するに「ムスリム」とは、自らの宗教から切り離されることが原理的に不可能な存在、それゆえ決して(フランス的な意味での)「個人」にはなりえない者たちとして措定されていたわけだ。しかもその不可能の原因は他でもない「ムスリム」の文化に帰属される。しかもそれはあくまでも特殊な宗教文化であるのだから、彼らに対する差別的な眼差しが「人種主義」として自覚されることはないのである。
 
ところで「自分たちが帰属する集団と分離できず、それゆえに個人になれない〔とされる〕人々」は他にも存在していた――それが「女性」である。
スコットによれば、女性は男性と異なり自らの身体性から切り離せないものと考えられてきたという(132頁)。「それゆえ、抽象的個人とは男性の同意語であった」(192頁)。1945年にフランスで女性に投票権が与えられた際にも「それは特別な集団としてであって、個人としてではなかった」のである(同頁)。
 
個人の抽象性を前提する政治的平等が性的差異に対して抱える矛盾を、スコットは「(ジェンダー関係に対する)開くアプローチ」と「否認の心理学」という二つのキーワードから説明する。
 
前者は社会学者ファラ・コスロカヴァールの用語であり、それは「閉じる」アプローチと対をなしている。
「閉じる」アプローチでは「ジェンダー関係は慎みという規範によって制御される」(176頁)のに対し「開く」アプローチは身体の露出ないし可視性を肯定的に評価する。フランスのジェンダー体制はまさにそれにあたるだろう。
しかしスコットによれば、女性の身体的露出と「欲望のまなざしのやりとり」の開放性を肯定することによって、性的差異は強調される同時に問題としては「否認」される
つまりセクシュアリティに対しあまりにあっけらかんとした態度を取ることで、それが共和国の理念に突きつける様々な問題は体よく隠蔽されるのである。
 
「移民」と「性的差異」――ヴェールは共和国が抱えるこれら二つの困難の結節点である。
 
イスラームの規範はフランスとは対照的に「閉じる」アプローチを取っているが、それによってセクシュアリティの問題性を逆説的な仕方で「承認」しているのだとスコットは主張する。
ムスリム女性のヴェールや男性のゆったりした服などの「控えめな着衣」は、「男女の性的関係の効力が移ろいやすく、壊れやすい」ことの認識であり、それゆえに「公共の場では性的関係に踏み込んではならない」ことを宣言するものなのである(194頁)。
このことは、なぜ2004年の法律がヴェールに対して「誇示的な〔ostensible〕」という――スコットによれば性的な露骨さというニュアンスを含んだ――語が用いられたのかを説明しているという。
つまり女性の身体の隠蔽がその「誇示」として認識され非難されるのは、ヴェールを通じて「性に関するあまりに多くのことが言われているだけでなく、その困難さのすべてが明らかになっている」からに他ならないのである(195頁)。
 
スコットはイスラームの「閉じた」ジェンダー体制を手放しで賞賛しているわけではなく、それが「家父長制的」な性格を持つことを認めてもいる。
しかし彼が同書で最も問題視するのは、異質な体制への批判が高じるなかで、フランスにおいてもなお残存するはずのジェンダーセクシュアリティの問題が――場合によってはフェミニストたちによってさえ――看過されてしまっていることだ。
 
露出を称揚する文化が女性の身体に対する性的消費を助長しているという懸念は、共和国とイスラーム文化との対立図式が構築されてゆく中であっさり忘却された。
平等=性的開放=身体の可視性、といういびつな等式が定着し、フランスのジェンダー体制があたかも完全に自由で最良のものであるかのように信じ込まれたのである(177頁)*2
 
スコットはこのような忘却の原因を「共和国の企図」への無意識の同一化に見出している。
おそらくそれは正しいだろう。ただ「スカーフを法的に禁止することは、愛国の行為になったのである」(196頁)という(やや因果関係をぼかした)書き方に表れているように、同書においては「共和国の企図」の持つ磁場が――意識的であれ無意識的であれ――ある種のフェミニズムを外から鈍化させ迷走させたのか、そうした理論がそもそもの初めから共和国的な理念の中で育まれたものであったのか、という判断は明確にはなされていない。
 
そしてもし後者が正しいのだとすれば、それらの主張の主観的な一貫性は、我々の想像をはるかに超えて強固なものであるはずだ。その場合、諸々の矛盾点を実証的かつ非常にクリアに指摘してゆく同書のようなアプローチが、結局のところ共和国的なものの外部(それは必ずしもフランスの地理的な外部には限らないだろうが)にしか響かないという可能性も充分に考えられる。
フランスにおけるスカーフやブルカの禁止に違和感を覚えることは、外部の私たちにとってさほど難しいことではない。
むしろ、あまりに簡単であることに私は不安を覚えるのだ。
 
アメリカ人である著者スコットもまた「なんでこうなるのか」というような戸惑いや苛立ちを随所に垣間見せている。
そして私たちにとってその戸惑いはごく常識的なものに見えるだろう。
しかし「常識的」な見解に触れる安心感は、問題を自分にとって「対岸の火事」に留めておくための強力な動機として働きうる。
自らの理性と常識が保証する安心を目指して事態を割り切ってゆくアプローチだけでは、ヴェールをめぐる問題の本当の深みにはおそらく届くことができないのではないか。
読後に募ったかすかな不安を手がかりに、おそらくもう少し進んでみなければならない。
 
 

*1:24頁。さらに「移民」という言葉自体も1980年代以降「北アフリカ人」とほぼ同義語になっているとされる。

*2:法律によって平等が形式上いかに保証されていたとしても、それだけで性に関する問題が完全に霧散するわけではない。スコットはパリテ法(殆どすべての選挙で男女の候補者数を同じにするよう求める法律。2000年に成立)成立以降に、「大統領選挙は美人コンテストではない」として女性政治家セレゴーヌ・ロワイヤル氏の出馬を阻止しようとする動きがあったことを指摘している。