和製オドラデクの生活環

きみの物語は終わった/ところできみはきょう/おやつに何を食べましたか――富岡多恵子「静物」

あやふやな世界のホメオスタシス――panpanyaについて

 
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panpanyaとは何か。人名である。誰の名か。漫画家である。
 
私家版の作品集2冊を一般流通向けに再編集した『足摺り水族館』(1月と7月、2013年)が実質的なデビュー作*1。現在は同人活動と並行して白泉社の「恋愛系」コミック雑誌楽園 Le Paradis』に短編作品を掲載しており、既に同社から二冊の単行本『蟹に誘われて』(2014年)『枕魚』(2015年)を刊行している。
 
というわけで今回はこれら三冊の作品集をもとに、panpanyaという才能についてごく簡単にではあるが、論じてみたいと思う。
 
主人公はほぼ固定。冒頭に挙げた『枕魚』のカバー中程に描かれている年齢不詳*2ジェンダー属性も限りなく曖昧な(おそらく)女性である。
彼女の造形がきわめてラフな描線でなされているのとは対照的に、背景は概して黒々と、細部まで描き込まれる*3。とりわけ、どこかアナクロな風情を湛えた看板が歪んだパースで林立する「街」の姿をpanpanyaは好んでいるようだ。
 
物語は基本的に「異界探訪譚」のさまざまなバリエーションである。ふらふら歩いているうち知らない場所に迷い込んでしまう場合もあれば、あるいは自分の住んでいるはずの風景が、些細な発見を通じて突然に異化されることもある。
ここで次のように考えることは可能だろうか。つまり細密な背景とラフな人物像のギャップは、風景と主人公両者の属する次元の差異を際立たせ、異界に晒された実存の不安を表現しているのである、と。
ありえないことではないが、だとしてもそれは一瞬のことだ。panpanyaは決してそのような不安を作品の主題としているのではないし、むしろそこで描かれる世界は奇妙なほどに安定している。
 
panpanayaの作品には、しばしば主人公のパートナーや案内役として、直立歩行をし人語を介解する動物たち(犬やイルカや魚……ただし面白いことにどの動物も顔の造形にほとんど大差がない)が登場する。彼らはみな主人公と同様のラフなタッチで描かれており、彼女と世界とのスムーズな交感を橋渡しする役割を担っている。彼らの存在は、世界の「あちら側」と「こちら側」というような対立を静かに無効化してしまうだろう。
異界、と言っても既に述べたようにpanpanyaの描くそれはあくまでここと地続きの場所なのであって、ファンタジックにぶっ飛んだ世界へのワープのような契機はどこにもない。特にその夢幻性を念押しするための「再訪の失敗」が描かれないことは重要である。
 
例えば『蟹に誘われて』所収の「方彷の呆」。
電車の中で居眠りをしていた主人公は目覚めたはずみで間違った駅に降車してしまう。それは「駅前商店街駅」という時制攪乱的な名前をもつ駅で、見知らぬ街をさまよううちに主人公は自分が別の世界に足を踏み込んでしまっていたことに気づく。助け舟を出すのはここでも動物――何かよくわからないショップの店員レオナルド(犬)である。なんだかんだで原因が幽体離脱であると判明、身体の方も駅の遺失物センターに届いていたので事なきを得るという物語だ。
で、面白いのはラストだ。レオナルドと涙の別れをした後日、同じ線の電車に乗っていた主人公は「次は駅前商店街…」というアナウンスを聴き、「駅前商店街」と書かれたアーケードのゲートを窓越しに見る――そして「いや…降りないけどな…」と呟く。
それが「あの」駅前商店街なのか、駅前商店街駅は「こちら側の」空間であったのかそれとも身体を取り戻した後も主人公は「あちら側」に踏み込んだままなのか。いろいろな解釈はできるだろう。だが主人公はレオナルドからもらった「キッチンタイマー」をその後も持ち歩いているし、いずれにせよ訪れた異界との絆はかなり確かな形で主人公のもとに残されているのである。
 
あるいは『枕魚』に収められた「ゴミの呼び声」も同様の観点で読むことができる。主人公は町内清掃に没頭するうちにひとり時空を超えて過去を訪れてしまい、牛の引く「大八車」を借りて大量のゴミを集め始める。その状況に主人公が殆ど驚きや疑いや示していないのも興味深いが、集合場所に戻って参加賞のジュースをもらったあとのラストのコマはなかなか衝撃的である――大八車を返し忘れていたことに気づいた主人公は友達に「帰りちょっと寄り道していい? 悪いけど」と言い、「しょーがないなー」と呟く彼女とともに牛を引いて去ってゆくのだ。
 
このように、panpanyaの主人公は訪れた異界を喪失しない。というか、そこではあらゆる喪失が予め排除されていると言ってもいい。主人公が老いることはないし(註1参照)、濁流に流された相棒は魚になって戻ってくる。すべてがすべすべに規格化されてしまうニュータウンの外には古い街並みがその価値込みで残されているし、休暇満喫に賭けた不毛な情熱によって期せず日曜日を潰してしまっても、翌日は運よく祝日だ。世界は若干のずれを含んだまま、不気味なほど穏やかにホメオスタシスを保っている。
 
喪失の喪失、これはある種の放埓なのだろうか。確かに喪失や切断を描くことはある種の禁欲であると言える。特に児童文学などにおいて「あちら側」との別離は大人になるための、イニシエーション的な機能も果たしているだろう。
しかしこのような禁欲はその本質において、その手前に巨大な欲望のプールを護っておくための手段に過ぎないのではないだろうか。失われるものは、失われることによってこそ、ファンタズムとしてのステータスを無傷のまま保っておくことができるのかもしれない。
だとすれば喪失を喪失することで、panpanyaは「あちら側」という幻想そのものを放棄しているのだとも考えられる。あちら側など存在しない――全ては日常の、あるいは私たちの足が踏むこの道の続く先にあることがらである。しかしこの苦々しい確信は同時に、「こちら側」は私たちが思っている以上にあちら側に似ている、ということでもあるはずだ。
 
「あちら側などない」というのは「全てがこちら側にある」がゆえのことなのだろう。panpanyaが主人公を異界へと迷い込ませる発端には、日常の中の些細な逸脱に対するいわば「VOW」的な感性がある。この世を既にして半ば滅茶苦茶なワンダーランドとして楽しみ直すということ、それは幻想への幼児的な逃避というよりも、ある種の諦念をバックにした、なんというかとても「大人」な愉楽であるように思う。
 
だからpanpanya的な日常は、たとえ虚構的で疑似的なものであるとしても、決して「あちら側」に仮構されているのではない。それはむしろ複数世界への欲望を一切断ち全てが「こちら側」にあるのだと信じ切ったとき――つまりは人が夢を見る能力を捨てたとき、世界がいかに見えるかということの思考実験なのである。死後の世界とか、安息の地とか、あるいはこの世における我が人生の行く末を含め、今ここにあるのでないいかなる彼岸を追い求めることもなく現在の中で完全に自閉することができたなら……そのとき犬はきっと立ち上がり、まるで古くからの友人のようにお茶話を始めるのだ。
 

*1:『足摺り水族館』およびpanpanyaの最初期の歩みについては版元である1月と7月の公式サイトを参照→ http://1to7.tumblr.com/post/113483862528/panpanya-ashizuri。また「このマンガがすごい!web」に掲載されたインタビューも興味深い→http://konomanga.jp/interview/788-2

*2:年齢不詳というよりもむしろ不老不死に近いのかもしれない。例えば『蟹に誘われて』所収「計算機のこころ」では「8年後」というテロップの後にも時が経つ前と風貌も服装も一切変化のない主人公の姿が映される。

*3:時には人物を鉛筆で、背景をペンでというように画材が使い分けられることもある。

高橋源一郎『「悪」と戦う』、河出文庫

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高橋源一郎らしさ」とは何か。それを定義するのは意外にも難しい。
 
もちろん「いかにも高橋らしいパッセージ」を抜き出してみせることはいくらでも可能だ。けれどその特徴を「物真似」できるほどに分析するというようなことは、例えば村上春樹などと比べるとずっと、複雑な作業なのではないか。
 
そしてそれはおそらく、彼の文体そのものが、多かれ少なかれパロディ的であるからだ。
 
例えば本書『「悪」と戦う』ではあからさまにライトノベルの文法が取り入れられているが、元ネタをこのようにはっきりとは指摘できない場合であっても、高橋源一郎の文章は、それが高橋源一郎的であればあるほど、同時に何か別のものに似ている
 
あるいは文体レベルで「演技」しているというべきだろうか。
 
リリシズムは高橋源一郎作品の大きな特徴である。だが実はその性質はーーしばしば奇矯な設定やレトリックで粉飾されているもののーーものすごく「チープ」で、言うなれば「ど直球」である。
『「悪」と戦う』について言うと、ラスト付近での弱く哀しい存在としての悪を形象化する際の演出は、とりあえず紋切型であると言わざるを得ない。『さようならギャングたち』における「廊下」やキャラウェイのエピソードにも、おぼろげながら何らかの「型」の存在を感じる。
 
ただそのうえで高橋の凄いところは、そのチープさが決して読者を白けさせない点にある。恥ずかしいほどひねりなく模倣されたラノベ的文体は、彼の秘技的なセンスによって、高橋源一郎的なリリシズムの優秀な装置として組み込まれる。
テンプレに沿った文体レベルの「演技」は、特有のすぐれた情景喚起力を発揮して私たちの胸に強く訴えかけるわけだ。
 
しかしながらそうしたリリシズムは内容、つまり具体的な筋書きやメッセージそれ自体から発するものではないと思う。あくまで演技でありパロディである以上、そういうものは言わば「異化」されて提示されていると考えるべきである。 これは、感動がギリギリで笑いに「転じる」、というのとも少し違う。叙情性そのものは決してフェイクではないのだが、ただ、その在り処が内容とは別のところにあるのだ。
 
具体的にそれがどこなのか、ということについては後で話すとして、いずれにせよここで述べたことは少なくとも初期三部作には明らかに当てはまるだろう。けれど本作『「悪」と戦う』の場合、事情はすこし変わってくる。
 
本作には、明白なメッセージがあるように見える。
そしてそのメッセージが、この物語の感動の中心であるようにも、見える。
 
しかし私は敢えて、こうした読み方に抗いたいと思った。殆ど生理的に、「悪とは何か」という問いに対するこの小説の見かけ上の答えを、ひとまず宙吊りにしておくべきだと感じたのである。
 
世界から拒まれ、生きることを拒まれた「かなしい」存在としての「悪」ーーそれは仮に小説家かつ言論人としての「高橋源一郎」の答えではありうるとしても、決してこの小説の答えではない。
 
この見かけ上の答えは、ラスト付近で再び3歳児に退行してゆく「ランちゃん」の
「あくって、なんかかなしい」
「あくって、そんなにわるくないきがする」
という言葉に託されている。
 
これが高橋自身のまじめな直感であることは否定しがたい。しかしながら、それをこの小説そのものの答えにするつもりなら、中途半端に台詞にせずに暗示に留めるべきではなかったのか。
また反対に、ここまで端的に命題化可能な答えが用意されているなら、なぜそれをわざわざこのような小説で訴える必要があるというのか。
 
おそらく高橋源一郎自身が、この答えの大切さを信じようとしながら、同時にそれが一個の紋切り型でもあることに気づいていたのだと思う。
だからこそそれを、読者が読解すべきテーマにも、プロローグとエピローグにヴォネガットさながらに登場する「わたし」の直の主張にも、できなかったのではないか。
 
そのような主張を「ランちゃん」のひらがな言葉に託したあの一節が、本作の紛れもないクライマックスでありながら同時に最大の失敗点でもあったように感られるのはそのためである。
 
そして、もっと率直に言うと私はこのテーゼそのものに疑問を隠せない。
 
生きられなかったものの怨念として悪を定義して、そのうえで呪いに堕ちることを免れた「マホさん」のような存在をアンチテーゼとして立てること。それを文字通りに解釈するなら、要するに「ランちゃん」を通じて悪を一旦憐れみ、憐れむことで自らを正当性を保証しつつ、悪に抗いうるある種の「強さ」を根拠に「悪は悪だ」と言って済ますことにはならないだろうか。
 
そしてそれは、どことなく受け入れがたいものを孕んでいる。
 
少なくとも、ランちゃんが仮想体験した三つのパラレルワールドの物語を辿ったものには、そんな浅はかな答えを受け入れることは難しいと思う。そこには確かにもっと、ずっと豊かなものがあった。それがなんであるにしても。
 
このテーゼを文字通りのものとしては拒むこと、それは「マホさん」の存在を抽象的な強さに還元してしまわないためでもある。
「マホさん」は「悪」のアンチテーゼではない(むろん「ランちゃん」も)。しいて言えば彼女は、悪とは何かという問いにとりあえずの答えを与えようとする作者・高橋自身に対して、問いを開かれたままにしておくための内的な「批評」なのである。
 
悪の哀しさというテーマ。それは断続的であれ常に多くの人々(例えば本作にもモチーフとして頻出する「戦隊ヒーローもの」のクリエイターたち)によって真剣に考えられ続けてきたものであるはずだ。
そして私たちは「あくって、なんかかなしい」という言葉を、それら連綿と続く思考への敬意に満ちたパロディーーつまりはオマージューーとして読まねばならないのだ。それはこの小説をあくまで小説として受け入れるために、どうしても必要なことである。
 
悪は哀しい、と主張することが耐え難い偽善を巻き込んでしまうとしても、悪の哀しみの可能性について、生まれなかった子供について考えることそれ自体の発端には確かに、優しさがあるだろう。
私の言う「敬意」とは、こうした優しさへの敬意である。
高橋源一郎のリリシズム、と先に呼んだのは要するにこのような、内容や形式に先立つ未分化な「優しさ」のことだ。彼の文章は優しい。紋切り型を演技しながらリリシズムに昇華させる彼のセンスとは、一見チープで素朴なテンプレートの底から驚くほど繊細な優しさを汲み取る才能なのだ。
 
「あくって、なんかかなしい」というテーゼを敢えて宙吊りのままにすることで、私たちは物語のエーテルのような優しさだけを確かに、把握する。
 
なんだかそれも浅はかに聴こえるかもしれない。しかしこれでいいのだと思う。おそらく高橋源一郎の小説が担いうる「倫理」のもっとも豊かな可能性は、決してメッセージにはなりえない単なるムードの中にこそ、横たわっている。
 
 

ぼくのトラウマまんが遍歴

今回は趣向を変えて「ぼくのトラウマまんが遍歴」を一席。
小学校から大学までぼくの心に何らかの痕跡を残した漫画を鑑賞年代順に紹介するというそれだけである。
完全な思い付きであり、特にはっきりした動機があって書いたわけではない。したがってさして気の利いた前口上もできない。さっそく始めよう。
 
1.藤子F不二雄「ねこの手もかりたい」(『ドラえもんてんとう虫コミックス7巻)

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まさに怪作。
登場するひみつ道具は、人体のパーツを切り取って他の部位に自由に付け替えられる「つけかえ手袋」と、付け替え用の人造部品。
これを使った金儲けを思いついたのび太は、反対するドラえもんから目を奪い逃走。
しずかちゃんには「少女漫画的な目」、スネ夫にはすらりと長い脚といったように、各々がコンプレックスを抱く部位を交換するという悪魔的な商売を開始する。
と、この筋書きだけでも既にどこか狂気じみたものを感じさせるが、具体的に読者を驚かせ不安にさせる描写も随所に見られる。
例えば新商売の「コマーシャル」と称してのび太がおなじみの面々を驚かせるシークエンスのテンポは非常にホラー的である(「三つ目のび太」の一コマは絵的にもたいへんおそろしい)。
またラストで目を奪ったのび太への復讐を試みるドラえもん*1の無言も不穏。読後感は決して良くない。
全体にシュール、かつどこかうす暗いムードが漂う奇妙な一篇。
(なおコミックス第7巻は「帰ってきたドラえもん」「小人ロボット」などドラえもんの温かさが沁みる作品もあれば、本作や有名な「ネズミとばくだん」のような異色作も楽しめる、かなりハイレベルな巻である)。
 
2.藤子不二雄A『魔太郎がくる!!』(の背表紙)

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読んでません。
あるとき本屋で棚に並んでいるのを偶然見かけ、ただその背表紙タイトル上部に描かれた魔太郎の顔だけでしばらく寝つきを損ねてしまった。
魔太郎に限らず、そもそもA先生の絵には昔からアレルギーの気がある。
笑っているのか怯えているのかわからない半円形の目や、靴裏に何か噛ませたくなる傾いだ人物像など、A先生の世界観は存在論的なレベルで歪み、ぐらついている。
そしてそれが彼の「ブラックユーモア」の足場になっているのだ*2
(ところでこれはなにぶん小学生の頃だし、そろそろ大丈夫だろうと大学一年の頃に意を決してA先生の『ブラックユーモア短編集』を購入してみたのだが、ある作品のあるコマの登場人物の顔を見た瞬間刺されたような恐怖を覚えその後二度と開くことができなくなり、長らく袋に入れて封印していたがいつかとうとう売ってしまった)。
 
3.秋本 治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の第1話
こんなの誰でもビビる。
 

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言わずと知れた名作。
父の書架にあったのを中学生の頃ひそかに盗み読んだのを覚えている。
いい感じの人情話もあるものの、回によっては主要な登場人物にさえ、あまりに生々しい心の闇を容赦なく付与してゆく。
まさに気迫のヒューマニズムである。
あれほどのものを見せられていると、セオリー通りの役割モデルをそつなくこなす大方の「キャラ」なる存在物は、二次元云々以前にそもそも人間として作られていないのだと思うようになってくる*3
何にせよ、あれは下校中などふと思い出しては人間について悶々とする日々が続く程度に、中学生の心的エネルギーを消費させる漫画経験であった。
 
5.つげ義春「必殺するめ固め」(筑摩書房版『つげ義春全集』第6巻)

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これはトラウマまんがの常連であると思う。
中学生の頃、晴れた日曜日に自転車で隣町の図書館まで行って本を漁るのにハマったことがあった。
こんな禍々しい表紙の『つげ義春全集』に手を出したのは、実家にあった本で「ねじ式」の眼医者の看板が宮崎駿千と千尋の神隠し」の元ネタのひとつとして紹介されていたからである。
第6巻は「ねじ式」「ゲンセンカン主人」といった代表作から「夢の散歩」のようなどうしようもない作品まで色々読めていい感じなのだが「必殺するめ固め」はとにかく衝撃であった。
簡単に言うと、ある男が元レスラーの暴漢に「必殺するめ固め」なる技をかけられ話すことも歩くこともできなくなったうえ目の前で妻を犯されるという、それだけの話である。
それだけであり、それだけでトラウマなのだが、ただその「それだけ」のうちには細かいトラウマのポイントが色々あって、どこに引っかかるかは各人の性別年齢性格性癖etc.に応じてかなりばらつきがあるだろう。
そしてそのひとつひとつが、おそらく丁寧に掘り下げてゆくに足る話題である。
しかし中学生の私にとってはそういう色々な刺激の種も見分けがたくごっちゃになっていて、それがとりあえず恐怖として知覚されたのだった。
要するに年不相応だったのだが、不相応だからこそ意味のある鑑賞体験もあるだろう。これはそういうタイプの漫画。
 
6.石ノ森章太郎「ジャム・ソーセージ」(角川ホラー文庫『歯車――石ノ森章太郎プレミアムコレクション』)

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細かいことは覚えていないがとりあえずひたすらシュールでダウナー、意味不明。
地元の本屋で立ち読みした直後にものすごい胃もたれに襲われたあの感じを今も鮮烈に覚えている。
これも中学時代。
 
7.さくらももこ「美人は得か」(集英社文庫版『ちびまる子ちゃん』8巻)

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これはたぶん高校時代。
ちびまる子ちゃん』の絵柄は 尼子惣兵衛の『落第忍者乱太郎』と同型の進化を辿る。
どうにも素人じみた画風は次第に洗練されてゆき、洗練されるにつれて登場人物の等身は小さくなりキャラクター的な安定感を獲得するのである。
文庫版8巻の絵柄はまさに「円熟」の域であるのだが、実のところ私はこの時期のさくらももこのストーリーセンスがあまり得意ではない。
はっきり言って気持ち悪い。どろどろしている。額のタテ線が担う重みが初期とは全く異なっていて、それはもはや単なる「引き気味」の表現ではなく、まさしく修羅場入りの合図なのだ。
おそらく初期の「作者の声」(アニメではキートン山田が担当するあれ)は「未来のまる子」というステータスを持っていて、だから人間的な視野の偏りもあったし、それゆえの温かみもあった。
しかし話を追うごとに次第に声は抽象化されてゆき、視線は神の中立性に近づいてゆく。登場人物すべてが平等に突き放されているような感覚。誰もが少しずつ狂っている、その風景が淡々と描写される。ただしあくまでギャグとして――そのことすらもどこか、気持ち悪い。何かが隠蔽されている。
ここに挙げた「美人は得か」は特にいたたまれない悪意に満ちた作品だと思う。
(ただしこのように書くと、初期のさくらももこは健全で、次第に病んでいったかのように思われてしまうかもしれない。もちろんそんなことはなくて、彼女は本質的に狂気の漫画家である。ただその狂気の質も『神のちから』と『永澤君』では決定的に違うのだ……と言えば、わかってもらえるだろうか)。
 
8.高野文子「奥村さんのお茄子」(マガジンハウス版『棒がいっぽん』)

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ここからは大学。
最初に読んだときに衝撃を受け、その衝撃を引きずる形で、今の今までただの一度も「理解した」と思うことなく繰り返し読み直し続けている。
これはなんなのだろうか。
因みにこの『棒がいっぽん』という作品集は墓穴まで持ってゆきたい人生最高の一冊。
 
9.榎本俊二「ジャッキグー」(双葉社版『反逆ののろし』)

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 榎本俊二でいちばん恐ろしいのはこの作品である。
 確かに『ゴールデンラッキー』も『えの素』も『ムーたち』もそれぞれの意味でショッキングではある。だが榎本がそこで何をしたいのかは、あくまで明確だ。
ところがこの「ジャッキグー」は、何がしたいのかまるでわからない。
昼間は寝てばかりのだらしない飼い犬が、野良犬の悪友たちと連れだって毎夜くりだす冒険をメルヘンタッチで描いている――と言うと「それらしい」が、このような体のいい説明ではとらえきれないいびつさがこの作品にはある。
 
これはなんなのだろうか。
 
これはなんなのだろうか――要するに「トラウマ」とは、私にとってそういうことなのだ。
24年も生きていると、物事を解釈する装置のストックもずいぶん豊かになってくる。大抵のものは頭の中でクラスわけできるし、なんだかわからないものに出会っても、それが厳密な意味で「トラウマ」という形を取ることはあまりない。つまり直接それが「傷跡」にならないように、なんだかわからないもののための隔離フォルダが作成されるわけだ。そうやって、来たるべき悟りに向けた計画的な反芻が可能になる。
だが本質は多分ずっと同じなのだろう。
ぼくのトラウマまんが遍歴は、なんだかわからないものとの邂逅の記録である。
 
 
 
 

*1:子供にドラえもん書いてごらんと言うと、最初に頭の輪郭を描き、次に顔の白い部分と青い部分を分ける境界線を描くことが多い。そしてかなりの確率で彼らは無計画にこの二つ目の半円を閉じてしまい目を描きこめなくなる(目をその内側に描きこむものもいる)。

*2:反対にF先生の「スコシフシギ(SF)」はぼくらが日常と呼ぶ端正な現実感覚を見事に写し取った絵柄の上に成り立っているわけだが、要するに私は圧倒的なF派なのである。

*3:全然関係ないけど『魔法少女まどかマギカ』にはたぶん、最後まで「人間」がひとりも出てこなかった。

ジョーン・W・スコット『ヴェールの政治学』李 孝徳訳、みすず書房

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タイトルにある「ヴェール」とは、「ムスリム」女性のヘッドスカーフ(ヒジャブ)――特に1989年以降のフランスにおいて激しい論争の的となってきたそれ――を指している。
フランスでは2004年に公立学校におけるヘッドスカーフ着用を規制する法律が可決され、2010年には公共空間で「顔を隠すこと」を禁じる「ブルカ禁止法」が成立した。
同書(原書2007年)は前者のスカーフ禁止法成立に至るまでの歴史的経緯を、フランス的共和主義の抱える本質的な矛盾に肉薄しつつ非常に明快に論じたものである。
 
まず「ムスリム」という語がそれ自体、注意を必要としている。
スコットによればこの語は「北アフリカ出身の移民」の総称として用いられてきた――「北アフリカ人のすべてがアラブ人ではないし、アラブ人のすべてがムスリムでもなく、フランスにいるムスリムのすべてが北アフリカ出身でない」にもかかわらずである*1
このような雑駁な把握は「ムスリム」を「自らの文化や宗教のしるしを捨てようとしない外国人」(24頁)として怖れ、軽蔑することにつながってゆく。
 
しかしなぜ、それらの「しるし」(例えばヴェール)を「捨てる」ことが問題となるのだろうか。
それは――スコットによれば――フランス国民であるということが即ち「抽象的な個人」であるということに他ならないからである。
宗教や民族性といった各自の特殊な属性は(少なくとも公共空間においては)無意味なのであり、個人は互いに同質的でそれゆえ「普遍的」であらねばならない。
そして共和国が理念として掲げる「平等」が保証されるのは、ただそのような個人に対してのみなのだ。
それゆえ「ムスリム」との共生という問題は、専らその「同化」という観点から考えられることになる。
 
国家としてのフランスのモットーは「ひとつにして不可分」たることである。
実際そこではエスニシティや宗教に関する公的な人口統計が取られることはないのだが、しかしこれは必ずしも、差異に関する単純な寛容を意味するのでもない――というのも「抽象的な個人」の集合たるはずのフランス国民のなかに、そもそも差異なるものは存在しないことになっているのである。
 
一方では「フランス」がこのように普遍的かつ不可分な統一体として考えられ、他方では「ムスリム」なるものが、前者に対立する特殊な文化として――これもまたあたかも一枚岩の共同体であるかのように――表象される。
そして当然、このようなステレオタイプ化は対象を劣った存在とみなす眼差しを含んでいる。
それゆえアラブ人の同化は共和国にとってはその「文明化」として自覚され、ある種の使命として正当化されることになる(この種のロジックはあらゆる植民地主義的な思考に共通している)。
ところが問題は、この文明化の課題が実のところ、初めから不可能なもの設定されていたということである。
スコットはトクヴィルの発言を引きつつ、フランス人にとって「イスラーム〔という宗教〕はそうした〔「ムスリム」と呼ばれる〕人々が劣等であることの原因かつ結果」であったのだと説明する(56頁。傍点を下線に改めている)。
要するに「ムスリム」とは、自らの宗教から切り離されることが原理的に不可能な存在、それゆえ決して(フランス的な意味での)「個人」にはなりえない者たちとして措定されていたわけだ。しかもその不可能の原因は他でもない「ムスリム」の文化に帰属される。しかもそれはあくまでも特殊な宗教文化であるのだから、彼らに対する差別的な眼差しが「人種主義」として自覚されることはないのである。
 
ところで「自分たちが帰属する集団と分離できず、それゆえに個人になれない〔とされる〕人々」は他にも存在していた――それが「女性」である。
スコットによれば、女性は男性と異なり自らの身体性から切り離せないものと考えられてきたという(132頁)。「それゆえ、抽象的個人とは男性の同意語であった」(192頁)。1945年にフランスで女性に投票権が与えられた際にも「それは特別な集団としてであって、個人としてではなかった」のである(同頁)。
 
個人の抽象性を前提する政治的平等が性的差異に対して抱える矛盾を、スコットは「(ジェンダー関係に対する)開くアプローチ」と「否認の心理学」という二つのキーワードから説明する。
 
前者は社会学者ファラ・コスロカヴァールの用語であり、それは「閉じる」アプローチと対をなしている。
「閉じる」アプローチでは「ジェンダー関係は慎みという規範によって制御される」(176頁)のに対し「開く」アプローチは身体の露出ないし可視性を肯定的に評価する。フランスのジェンダー体制はまさにそれにあたるだろう。
しかしスコットによれば、女性の身体的露出と「欲望のまなざしのやりとり」の開放性を肯定することによって、性的差異は強調される同時に問題としては「否認」される
つまりセクシュアリティに対しあまりにあっけらかんとした態度を取ることで、それが共和国の理念に突きつける様々な問題は体よく隠蔽されるのである。
 
「移民」と「性的差異」――ヴェールは共和国が抱えるこれら二つの困難の結節点である。
 
イスラームの規範はフランスとは対照的に「閉じる」アプローチを取っているが、それによってセクシュアリティの問題性を逆説的な仕方で「承認」しているのだとスコットは主張する。
ムスリム女性のヴェールや男性のゆったりした服などの「控えめな着衣」は、「男女の性的関係の効力が移ろいやすく、壊れやすい」ことの認識であり、それゆえに「公共の場では性的関係に踏み込んではならない」ことを宣言するものなのである(194頁)。
このことは、なぜ2004年の法律がヴェールに対して「誇示的な〔ostensible〕」という――スコットによれば性的な露骨さというニュアンスを含んだ――語が用いられたのかを説明しているという。
つまり女性の身体の隠蔽がその「誇示」として認識され非難されるのは、ヴェールを通じて「性に関するあまりに多くのことが言われているだけでなく、その困難さのすべてが明らかになっている」からに他ならないのである(195頁)。
 
スコットはイスラームの「閉じた」ジェンダー体制を手放しで賞賛しているわけではなく、それが「家父長制的」な性格を持つことを認めてもいる。
しかし彼が同書で最も問題視するのは、異質な体制への批判が高じるなかで、フランスにおいてもなお残存するはずのジェンダーセクシュアリティの問題が――場合によってはフェミニストたちによってさえ――看過されてしまっていることだ。
 
露出を称揚する文化が女性の身体に対する性的消費を助長しているという懸念は、共和国とイスラーム文化との対立図式が構築されてゆく中であっさり忘却された。
平等=性的開放=身体の可視性、といういびつな等式が定着し、フランスのジェンダー体制があたかも完全に自由で最良のものであるかのように信じ込まれたのである(177頁)*2
 
スコットはこのような忘却の原因を「共和国の企図」への無意識の同一化に見出している。
おそらくそれは正しいだろう。ただ「スカーフを法的に禁止することは、愛国の行為になったのである」(196頁)という(やや因果関係をぼかした)書き方に表れているように、同書においては「共和国の企図」の持つ磁場が――意識的であれ無意識的であれ――ある種のフェミニズムを外から鈍化させ迷走させたのか、そうした理論がそもそもの初めから共和国的な理念の中で育まれたものであったのか、という判断は明確にはなされていない。
 
そしてもし後者が正しいのだとすれば、それらの主張の主観的な一貫性は、我々の想像をはるかに超えて強固なものであるはずだ。その場合、諸々の矛盾点を実証的かつ非常にクリアに指摘してゆく同書のようなアプローチが、結局のところ共和国的なものの外部(それは必ずしもフランスの地理的な外部には限らないだろうが)にしか響かないという可能性も充分に考えられる。
フランスにおけるスカーフやブルカの禁止に違和感を覚えることは、外部の私たちにとってさほど難しいことではない。
むしろ、あまりに簡単であることに私は不安を覚えるのだ。
 
アメリカ人である著者スコットもまた「なんでこうなるのか」というような戸惑いや苛立ちを随所に垣間見せている。
そして私たちにとってその戸惑いはごく常識的なものに見えるだろう。
しかし「常識的」な見解に触れる安心感は、問題を自分にとって「対岸の火事」に留めておくための強力な動機として働きうる。
自らの理性と常識が保証する安心を目指して事態を割り切ってゆくアプローチだけでは、ヴェールをめぐる問題の本当の深みにはおそらく届くことができないのではないか。
読後に募ったかすかな不安を手がかりに、おそらくもう少し進んでみなければならない。
 
 

*1:24頁。さらに「移民」という言葉自体も1980年代以降「北アフリカ人」とほぼ同義語になっているとされる。

*2:法律によって平等が形式上いかに保証されていたとしても、それだけで性に関する問題が完全に霧散するわけではない。スコットはパリテ法(殆どすべての選挙で男女の候補者数を同じにするよう求める法律。2000年に成立)成立以降に、「大統領選挙は美人コンテストではない」として女性政治家セレゴーヌ・ロワイヤル氏の出馬を阻止しようとする動きがあったことを指摘している。

書くことと読むことのぎりぎりの倫理――千葉雅也『動きすぎてはいけない』について

以下は千葉雅也『動きすぎてはいけない』(河出書房新社、2013年)に関する書評めいた文章です。もう一年以上前に、公にするあてもなく書いた文章ですが、割と気に入っていたので加筆修正のうえ、ここに再録しようと思います。
******************
 
千葉雅也『動きすぎてはいけない』におけるドゥルーズ読解の要は、等位接続詞 "et "(英語の"and"即ち「と」)への着目にある。
 
千葉によれば「ドゥルーズの「と」においては、相反する接続と切断が、矛盾の乗り越えをすることなく、併せて考えられている」という。*1
接続と切断――これは「リゾーム」の二大原理とされるものであるが、ここから千葉はさらに後者を2つに区別する。即ち、第一にツリーからの切断があり、それによってリゾーム状の接続が可能になる。しかし彼はむしろ第二の切断、リゾームそのものの切断をこそ、強調している。*2
言い換えれば、他の事物「と」リゾームをなすこととは、決して無際限の接続によって「万物斉同」の混沌に流れ込むことではない、ということだ。
 
ただしこのときリゾームを有限化する切断は、音のつながりを語の連鎖として捉える際に生じるような(つまり有意味なユニットを産出する)分節化であってはならない。
必要なのはある種の「いい加/減さ」、適度な「無関心」による「非意味的切断」である。このような仕方でリゾーム状の関係性をなすこと、これこそ千葉の解釈する「生成変化〔devenir〕」に他ならない。

ところで同書の副題は「ジル・ドゥルーズ生成変化の哲学」となっている――だとすればこの書物において千葉は、ジル・ドゥルーズ「と」生成変化の哲学との関係性それ自体の「リゾーム」化、それらの「生成変化」を生じさせているのだと考えられる。
「と」に結ばれる二項はヒエラルキーをなさず、ここでドゥルーズは「生成変化の哲学」の絶対的な所有者ではありえない。
千葉は「ドゥルーズ哲学」に見出される「非意味的切断の原理」に従って、当の「ドゥルーズ」とその「哲学」との間の関係性そのものを弛める。それによって千葉自身による「アドホックな」介入、(浅田彰による帯文の表現を借りれば)ドゥルーズ哲学の「変奏」が可能になっているのである。
このような循環の内で展開される千葉雅也の「変奏」はしかし、言うまでもなく独占的な我有化ではない。ここで浅田の帯文を読んでみよう。
 
ドゥルーズ哲学の正しい解説? そんなことは退屈な優等生どもに任せておけ。ドゥルーズ哲学を変奏し、自らもそれに従って変身しつつ、「その場にいるままでも速くある」ための、これは素敵にワイルドな導きの書だ」
 
奇妙に捩れた文章である。この本は優等生による正しい解説書ではない、と宣言する第一文を受けるなら「変奏」の主体は当然、著者・千葉雅也と理解される。ところが「〔…〕ための」以下を読むと、「変奏」および「変身」を行うのはむしろこの書に導かれる我々一人ひとりの側であるかのようにも、思われてくる。

確かに、「と」の論理によって変奏可能性を開くことは、千葉自身に留まらず無限に多様な変奏可能性にパスを与えることにもなりうる。しかしだからといって、千葉の変奏に各々の読者がジャム・セッション的に加わることで誰のものでもあり誰のものでもない「生成変化の哲学」の実践がリゾーム状に広がってゆく……といった夢想を喚起することはできない。
それでは千葉による「非意味的切断」の強調、リゾームのいい加減さと有限性という観点をないがしろにしかねないからだ。
変奏が我有化でありえないとしても、それはむしろ「ジル・ドゥルーズ」の署名が依然として一定程度しがらみつづけるがゆえのことなのではないか。
ドゥルーズは(千葉雅也を含めた)我々に対し「生成変化の哲学」を完全に開け渡すことはないだろう。そして同様に、千葉は彼の「ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」を我々の更なる変奏へと完全に委ねてしまうことはない。
所在なさげに、かつ執拗に、千葉は自らの署名にしがらみつつ、我々読者との接続をところどころで「無関心」に切断せずにはいられないのである。
 
要するにこの副題が明らかにしているのは、いわば頓呼法的なそのメイン・タイトルと裏腹に、同書が(単なる「導きの書」というよりも)すぐれて一人称的な書物であるということだ。
千葉が「ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」について論じるということは、それら「と」千葉自身の関係性を問うことでもあるはずだ。おそらく同書の核心には、彼がそれについて書くという営みに関する自己言及性が拭いがたく存在している。
 
たとえばエピローグの直前、第9章の末尾において千葉はいささか唐突な印象も残しつつ「書くこと」という問題に言及する。そこで提示されるのは「書くことは、死に瀕した動物への生成変化である 」*3といういささか謎めいたテーゼである。
死に瀕した動物――千葉は「動物こそが死を知っている」というドゥルーズのコメントを解釈して、「動物こそが知る「死」、それは、自分の環世界にとって無関心な外部から来る他者によって不意打ちされ、わけも分からずに〔…〕殺されうるということである」と述べる。*4
また、ドゥルーズにとって動物とは「根本的に待ち伏せる存在」でもある。ここでも千葉の解釈に従うなら、それは「自他の環世界の境界において互いの貧しさゆえにシャープに分離された他者性へと、シャープに――無関心のまま敏感に――応じる存在」であることを、意味している。*5
つまり千葉にとって書くという行為は、決して豊穣ではない個人的な生活圏の内に幾分か自閉しつつ、しかしまたそれゆえにこそ他者の「不意打ち」に身を開く存在になるという意味において「動物になる」ことなのだ。
 
書物を通じたコミュニケーションの逆説は、権利上無限の伝達可能性に至るために一定程度の孤独を引き受けねばならないという点にあるのだろう。読者は作者にとって無関係な他者であり、また相互に無関係な他者たち、同じく「死に瀕した動物たち」の群れである。
この無関係性は「有限性」とも言い換えられる。書物を介したコミュニケーションが解消しえない無関心を孕むのは、それが決して無数の受け手たちひとりひとりへの十全な応答、無限に満ち足りた対話ではありえないからである。「序――切断論」において千葉は既に「一つの書物に脱稿の決定をすることは、様々なバランスを考慮した上であるとしても、非意味的切断である 」と述べていた。*6
 
一切の他者への全き応答が可能であるような書物はありえない。字数や紙幅の制限に鑑みて我々は必ずやどこかで区切りをつけねばならない。書くことの中断は同時に他者への関係の切断であり、したがってある種の「暴力」である。
しかしそれは決して端的な悪ではなく、ぎりぎりの倫理に留まりつづけるために必要な区切りでもある。そもそも同書のライトモチーフである「…すぎない」こととは、実のところきわめてクラシックなモラル(即ち「中庸」)の変奏だったのではないか。千葉は何よりまず自らの「書く」行為そのものにおいて、彼自身が応答せねばならない他者――ドゥルーズや我々――に対する必然的に有限な関係性のモラルを実践的に示しているのだ。
 
ドゥルーズその読み手である千葉、ドゥルーズについて書く千葉それを読む我々――この書物において「生成変化の哲学」は何よりまずそうしたメタ的でプラクティカルな関係性のレベルに生じている。
多分に一人称的で自己言及的な側面をもつ千葉の書物がそれでもなお「導きの書」としての意義を持ちうるとすれば、それはおそらくこうした点においてなのである。
 

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*1:千葉雅也『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』、河出書房新社、2013年、24頁。

*2:同書、22-23頁

*3:同書、358頁

*4:同書、同頁

*5:同書、同頁

*6:同書37頁

軽率な言葉――富岡多恵子の詩作品における死について

今回は『現代詩文庫15 富岡多恵子詩集』から、とりわけ当初は詩集『女友達』(1964)にまとめられていた作品群を取り上げて、読んでみようと思います。
 
富岡多恵子は小説家や評論家として有名ですが、優れた詩人でもありました。
私の偏愛する『女友達』という詩集は、H氏賞を受賞した1958年の『返禮』より彼女が練り上げてきた独特の詩作法――平易にして饒舌で、情念を迸らせつつもとことん乾いた語法――が、ここにきて圧倒的かつ徹底的な洗練に至ったことを示したものです。*1
では、その作風とはどのようなものか。
まずは本ブログのエピグラフの引用元でもある「静物」を紹介しましょう。
 
きみの物語はおわった
ところできみはきょう
おやつになにを食べましたか
きみの母親はきのう云った
あたしゃもう死にたいよ
きみはきみの母親の手をとり
おもてへ出てどこともなく歩き
砂の色をした河を眺めたのである
 
いったん、引用を中断します。
まず、冒頭からいきなり「物語」の終了を宣告される「きみ」とは誰でしょうか。富岡は詩のなかに多くの人称代名詞を書きこみます。殆どの詩に「きみ」(まれに「きみたち」や「おまいさん」)が現れますし、またそれに対応する一人称も「あたし」「わたし」「わたくし」や「あたい」までさまざまです。YOU&Iというと基本的にはラブソングの世界ですが、面白いことに富岡の詩にはそういう湿り気が一切ありません。
きみにもわたしにも、なんというかかけがえのない実存の重みのようなものがなく、ただ紙の上をからっ風に吹かれてからからと流れる、軽い文字だけの存在であるかのようです。彼女の詩は、遊び半分に書かれたのちに道端に投げ出された、使い捨てのメッセージの寄せ集めにも似ています*2。だから彼女の詩は往々にしてポリフォニックであり、ひとつの作品の中に「わたし」と「あたし」が入り混じることもあれば、またどれが誰の発話であるかという色分けも、概して困難です(端々に現れる、どこかふざけたような演劇的言い回しも、彼女の詩の多声性を後押ししていると言えるでしょう*3)。
 
「静物」の冒頭の一行は、富岡の詩に現れるあらゆる「きみ」のステータスを宣言したものと読むことができるでしょう。つまり、殆ど言葉そのものでしかないそれらはみな、生きた実体も重苦しい同一性も記憶も人生も歴史もない、要するに「物語」を欠いた存在であると。そして「きみ」と「わたし」はあくまでも相互的な、一本の軸の両極端であるのだから、「わたし」(あたし、あたい、わたくし…)もまた、物語から解き放たれた存在である、ということです。
 
富岡の詩は全体として、「物語」をからかい、出し抜き、裏をかく仕掛けで満ち溢れています。「ところで…」というふうに話は飛ぶし(わたしの物語は終わってしまったというのに、こんなときにおやつの話だなんて!)、そもそもそんな前置きがあれば親切な方で、富岡はごく単純な言葉からなる短い詩行を書き連ねながら、視点も話題も焦点距離も、ころころ変えてゆきます。100行を超える、壮大なライフヒストリーとも読める詩のラスト間際に「アクア アクア/水をください/水わりではない」などという詮無い言葉遊びを何の気なしに差し挟んだりもするのです(「はじめてのうた」)。
 
こうしたことを念頭に置くなら以下の、なぞかけのような「静物」の末尾の意味もすんなりと理解できるように思われます。
 
きみはきのう云ったのだ
おっかさんはいつわたしを生んだのだ
きみの母親は云ったのだ
あたしゃ生きものは生まなかったよ
 
言葉のうえの「きみ」は――それゆえに「わたし」も――生きものではない。
だからこそ同じく言葉のうえで、彼らはいとも簡単に「死ぬ」こともできます。
富岡の詩には、至る所に「死」が散りばめられています。しかしそれはこれまで述べてきた人称代名詞がそうであったように、生の事象や現象としての死ではなく、ひょっとしたら「モチーフ」ですらない、言葉のうえの死、死という言葉です。例えば、
 
みっともないから
きみは
喋ろうとしていた
おじさんは死ににいったし
おばさんは帰りみちに死ぬだろう
           ――「挨拶」
 
なぜそんなにすぐに帰ってくるのですか
なぜってちょっと留守のまに
きみは死んでしまって
あたしにおかえりなさいとも云えない
           ――「まだ帰らないでよ」
 
あたしはきみがそこにいて
もうすこしするとあたしの頸のにおいに
もたれて死ぬかもしれないと思い
           ――「誕生日は何曜日だったか」
 
かれらはホテルの部屋でシャワーをあび
かれらは死なないでまたやってきた
           ――「喋らないでわたしは聴いた」
 
かの女はくる約束をした
今日はまだこないので
今日死んだのかもしれない
           ――「女友達」
 
あまりにも軽々と――もしくは軽々しく、と言うひともあるかもしれませんが――死が想起されます。ここで語られている死は誰かの一度きりの死の現実というよりも、例えば「あいつ、遅いなあ」「死んじゃってたりして?」といった、日常的な一種の、軽率な「悪い冗談」のように響きます。
単なる言葉として去来する死――しかしそれは、もっとも無責任で現実離れしているようでいて、ひょっとすると私たちにとってもっとも親しく、それゆえにもっとも具体的な死の観念なのかもしれません。死の想念がふいに去来したとき、私たちは必ずしもそれに真正面から涙を流すとは限らないし、ただ自分の奇妙な冷静さが所在なくて、冗談めかした演技で空に向かって「やれやれ」などと独りごちて済ますこともよくあることです。来ないひとを待ちながら、あるいは目の前で生きものとして蠢く恋人を眺めながら、密かな冗談のように夢想される他人の死。それはあまりにも曖昧で軽やかな死であるから、まだ誰のものでもなく、最初の他人から自分、あるいは他の友達、どこかの知らないひとびと、すべての生ける者、「往ける者」*4の間をくるくると指先で輪廻するようにめぐります。
世界の有限性――というと重苦しいけれど、ふいに訪れるアンニュイの正体というのは、煎じ詰めればだいたい、そういうことではないでしょうか。
 
富岡の詩の多声的な饒舌さは、内心で戯れにいくつもの声を演じ分けながら、しばしのアンニュイをやりすごそうとするひとの「意識の流れ」です。以前に論じた吉行理恵の詩が子供のもの思いであるとすれば、富岡のもの思いはある程度生きて大方は経験してきたヴェテランのそれであると言えるかもしれません。例えば「なみだ」という詩の一節は、そういう気だるくとりとめもないもの思いの様相を実に鋭くとらえています(「おっかさんのためじゃなくて/ひとさまがけなるいのではなくて/さみしいのでもなくて/ぜんたいにさみしくないのであって/ただお茶を飲んだあとなどに/湖のような目をしているのはさみしかった」)。
 
しかしそれでも、今回も、その結末は吉行の場合とある種パラレルなものです。
 
私たちは吉行の詩を読みながら、そこに詩的な存在であることへの憧憬と諦めを見出しました。おそらく富岡においても同じ具体的で現実的な実存の重みが、ただし今度は(詩のなかへの解放ではなく)物語からの解放を、妨げています。軽やかに人称を転がしてみせながら、それでも実際には代替不可能な生きた存在としての「きみ」や「わたし」に対するしがらみを結局、富岡は捨て去ることができないということです。
それはやはり一種の絶望かもしれません。しかし、この重石、このしがらみを欠いてしまったなら、富岡の詩は完全にオートマチックな言葉遊びになってしまっていたでしょう。それらが純粋なシニフィアンになってしまうその手前において、きみや、わたしや、その死が、ぎりぎりまで重さを失いながら今なお他ならぬきみでありわたしでありその死であり続けているからこそ、富岡の言葉は(冒頭付近で述べたように)徹底的な乾きのなかになおも情念を湛えることができました。それが「詩」であるということ、少なくとも「抒情詩」であるということです。
 
「水いらず」という短い詩が、このことを証しているように思われます。
そこにおいて饒舌さは抑制され、「わたし」と「あなた」は他にないくらい具体的で、こう言ってよければ「地に足を付けた」存在であるように見えます。彼らは軽やかに交替可能な単なる人称ではなく、一定の長さを持った人生の時間を、したがって「物語」を、引き受けています。そして死は――死はもはや去来する言葉ではなく、その先にある結末として慥かに、担われています。私たちが物語から本当に解放されるのは、実はそれからのことなのだと、富岡はひっそり、告白しています。
以下に全文を引用して、終わります。
 
あなたが紅茶をいれ
わたしがパンをやくであろう
そうしているうちに
ときたま夕方はやく
朱にそまる月の出などに気がついて
ときたまとぶらうひとなどあっても
もうそれっきりここにはきやしない
わたしたちは戸をたて錠をおろし
紅茶をいれパンをやいて
いずれ
あなたがわたしを
わたしがあなたを
庭に埋めるときがあることについて
いつものように話しあい
いつものように食物をさがしにゆくだろう
あなたかわたしが
わたしかあなたを
庭に埋める時があって
のこるひとりが紅茶をすすりながら
そのときはじめて物語を拒否するだろう
あなたの自由も
馬鹿者のする話のようなものだった
 
 

*1:しかしこの作品は同時に、富岡が詩人から小説家へと転向する契機ともなった。そのあたりの伝記的事実について、私が今現在確認できる資料としては、土田順子「富岡多恵子の作品世界の変遷におけるガートルート・スタインの影響」大正大学大学院研究論集33、2009年。

*2:二人称に宛てられた印象的なパッセージの例をいくつか挙げてみる――「きみは草枕であります/このわたくしの」(「喋らないでわたしは聴いた」)、「おまいさんはわいせつが上手であると/あたしを喜ばせた」(「去年の秋のいまごろ」)、「あなたは抽象的で/雲のようにうつくしい男です」(「なみだ」)。

*3:「あんたってば/あたいのまっすぐの髪の毛をなでて/いい子いい子してちょうだいよ」(「草でつくられた狗」)、「だいいちきみに恋人はいますかね」(「誕生日は何曜日だったか」)

*4:「女友達」の一節より。

ニュースではなく、死を語るための虚構――粕谷栄市「死と愛」

「死んでしまった一人の少女に就いて、書いて置きたい」。
 
これは粕谷栄市の処女詩集『世界の構造』(1970)に収められた「死と愛」という作品の冒頭です。彼は禁欲的とさえ言えるほどの一貫性を持って、当時すでに確立されていた自身のスタイル、つまり「散文詩」というスタイルを現在に至るまで守り続けてきました。
 
日本の現代詩において「散文」という語は、多くの場合「行分けされていない詩」を指すために用いられます。詩と言ってふつう思い浮かべるのは行分け詩でしょうが、実はそうでない作品もたくさんあります。ただし粕谷の作品はそのような単なる「非行分け詩」という以上の意味で、すぐれて「散文詩」と呼ばれるべきものです。
言葉は極度に切り詰められています。読点の多い静かな文体で、2、3文が一段落を構成し、それが7から10ほど連なってひとつの作品をなします。抑制された、一見して地味な言葉が淡々と記されている印象です。初めに引いた「死と愛」の一節や、あるいは同じ詩集に収められた「海峡」の冒頭(「その孤独な若い女と、私は、一度だけ食事を共にしたことがある」)などは、極めて散文的です。
しかしそのような散文調に紛れて、突如として、しかし平然と、異様な比喩が織り込まれることがあります。例えば同じ「海峡」の二文目――「その夜はひどい雨で、界隈は、海老のように、騒がしかった」。
海老のような騒がしさ。これは紛れもない詩語です。長く奥行きのある物語を、恣意的で不均等な圧縮率で要約したかのような印象を与えるのが彼の作品の特徴です。形式のみならず、その内実においてもそれらはまさしく散文と詩の婚姻であると言えます。
 
冒頭に置き去りにしていた「死と愛」を読んでゆきましょう。
はじめの3つの段落を引用します。
 
***
 死んでしまった一人の少女に就いて、書いて置きたい。私の育った町の大きな家具屋の娘で、私の幼なじみであったのだ。
 変わった少女で、稚ない頃から、卵が嫌いだった。否、寧ろ憎悪していた。卵と卵に関するものなら、何でも、見つけ次第、叩き毀したり、引き裂いたりした。たくさんの卵を盗んで、溝に捨てた。鶏を見ると、嘔いた。
 それは、恐怖だった。或る時、卵を運ぶ老婆を、橋から突き落としたことがある。成長しても、それは癒らなかった。毎日、卵を兇器にして、人々と自らを傷つけた。いつからか、彼女は、狭い一室に閉じ込められて、生きねばならなかった。
***
 
非常に長い時間が危ういバランスで圧縮されています。
既に述べたようにこれは彼の詩の特徴です。しかしこの時間のボリュームは、こうしたダイジェスト的な形式でしか提示されえない――あるいはそれによって初めて、事後的に産みだされるものです。
この一節は希釈することができません。
これは彼が死んでしまった「一人の」かけがえのない少女に就いて書くための、唯一可能な密度です。仮に別様な文体を選んでいたなら、例えばもっと長い告白体や伝記の形式をとっていたなら、そこには全く別の物語があったでしょう。そこで憎悪されているのは卵ではなく、何か別のものであり、したがってそれは「この」少女ではなかったでしょう。
 
それはつまり、この作品が詩であるということ、そして、ゆえに虚構であるということを意味しています。
 
彼女は実在しない――と、私はあえて言いきろうと思います。卵にまつわる全て(その実在、その観念、その記憶、匂い……)を憎悪し、恐怖し、自他を傷つけ、やがては死んでゆく少女は、他ならぬ彼によって他ならぬこのスタイルで書かれた他ならぬこの作品のなかでしか存在しえません。彼女について、あと少しでも詳細を書き加えたなら、あまりにも馬鹿馬鹿しいものになってしまうのではないでしょうか。おそらくそれは、最もあってはならないことです。なぜなら、これが詩であり虚構である以上、彼が「書いて置きたい」のは、卵を憎悪しそれゆえに死んでいった少女がいたという事柄そのものではないからです。卵と少女をめぐる逸話が証だてねばならぬもの、それは私たちには誰のものかわからない、しかしかつて確かに在ったであろうひとつの生存の、張りつめた熱の記憶に他なりません。
虚構の語りは続きます。
 
***
 呼ばれて、時々、私は逢いに行った。
***
 
彼女が何故自分を求めるのか彼は分かりません。彼女は彼の前でただ泣くばかりで、ひたすらに卵を罵り、時には激昂して物を破壊します。そしてその度に、謝るのです。「いつまでも、私たちは、闇の降りる部屋に、しずかに座っていた。……」。
 
そして別れが訪れます。
 
***
 彼女の死の前年、私は、家族と共に、他の町に移った。二度と、彼女に逢えなかった。彼女は、次第に兇暴になり、完全な廃人になったと言う。
 或る朝、部屋を抜け出し、郊外の線路の上で、冷たくなっていた。勤め先の冷酷な商店で、私は、それを聴いた。
***
 
「勤め先の冷酷な商店」という言葉は、移住による別離が彼女のみならず彼自身にももたらした孤独を物語っています。実際この描写は、彼が自分自身の身体を、具体的で現実的な空間においた最初の瞬間でもあります。卵を憎悪する少女と二人きりの「闇の降りる部屋」、その単純で純粋な空間は、常に既に過ぎ去ったものとして、おそらく記憶の中にしか存在しえないでしょう。それは虚構です。しかし少女の死、彼女の決定的な喪失、それだけは現実です。おそらく、それだけが現実です。あるいは「私」は彼女が「冷たくなった」その瞬間に「冷酷な商店」へと初めて生まれ落ちたのだ、とも言えるかもしれません。
彼の生存はそこでようやく始まります。最後の段落です。
 
***
 数年後、私は、兵士として、前線にいた。死の溢れる戦場で、ただ彼女を想うことが、私の支えであった。迫ってくる巨大な白い卵に向かって、必死に、射撃を続けながら、私の頭には、狂った少女のかぼそい肉体しか無かったのだ。
***
 
こうして詩は結ばれます。
この段落は、それまでの部分とは時間のフェーズが異なります。ここで「私」は、死んでしまった少女を、その「かぼそい肉体」を「想って」います。日本語の過去形が持つ曖昧なステータスゆえに、この「数年後」は少女の死に連なる過去の一時期であるとも、まさに今現在の状況であるともとれます。冒頭の「書いて置きたい」という語法には遺言的な響きがありますから、「私」は戦場で死を予感しつつそれをしたためているのだと考えても無理はないでしょう。死の知らせにまで至る彼女の生涯の簡潔な記録は、最終段落で戦場に立つ彼の――おそらくは虚構的な――記憶です。
 
私は、この作品の虚構性をことさらに強調しました。
そしてここに描かれるかぼそい肉体の死は、虚構であり詩であることにおいて、ひとつの生の、あるいは死の紛れもない現実を証だてようとしているのだとも述べました。
先程も述べたように、それが誰のものであったかということは大きな問題ではありません。それは少女でも、幼なじみでもなかったかもしれない。時間と場所と固有名がはっきりと特定される類の哀惜の経験ですら、必ずしもないと思います。顔も知らない無数の、しかしどこかですれ違ったかもしれない人々の死であるとも考えられるでしょう。厳密に誰の死も通り過ぎずに生きることなどできないし、そんな風に言うひとがあれば、それは嘘です。
 
最近、情報としてひとの死を知ることが前にもまして多くなりました。
例えばTwitterで。ひとの死の事実が、世界で生じている軽重さまざまな出来事にまぎれてニュースとして届きます。幾千もの人がそれについて何らかの言葉を述べます――そしてそれもまたニュースです。今ここで何かを言わねばならないという半ば病的な強迫によって、弔いの言葉までが情報になります。私たちは一人ひとりが衛星のように、ひとの死を報道します。
死をすぐさま言葉にする切迫が決して今に始まったことでないとしても、そしてそれが決して無意味ではないとしても、おそらく私たちはもう一つ別種の言葉を求めています。充分な時間を経て、ひとつの記憶として死を、ニュースではないかたちで語る必要があるはずです。
狂った少女の生涯についての虚構的で詩的な語りはたぶん、そのひとつの方策です。
この詩を収めた『世界の構造』という詩集には様々な死の逸話が含まれていますが、なかには具体的な、ニュースとしての死に触発されたことを明確に示している作品も幾つかあります。
例えばベトナムの焼身自殺事件をきっかけに書かれた「狂信」、そして同じくベトナムにおける公開銃殺の「報道写真」を題材とした「銃殺」。
しかしこのふたつの作品は、粕谷が知った死それ自体よりも、それを「報道」として彼にまで届けた世界の方に焦点を当てています。そしてこれらの作品には「死と愛」の静謐さとはかけ離れた、直接的な怒りの発露が見られます。
「狂信」において、彼は次のように書いています。
 
***
 しかし、それは、何ものでもあり得なかった。それは、そのまま、醜聞である。またしても、焼身自殺が行われたと、全世界に、怒号と啼泣の報道が、伝えられるのだ。群衆は、追い散らされ、広場は、洗い流されるのだ。
***
 
ニュースとしての死、死に関する言説の爆発は、それを忘却し去ってしまうためのものだと、粕谷は訴えているようです。他方の「銃殺」では、彼は繰り返し「記憶せよ」という命法を発しています。
ニュースではなく、報道ではなく、情報ではなく死を語ること。
「死と愛」はそのための、つまり個人的な記憶と哀悼の穏やかな空間をせめて虚構というステータスにおいて死者に捧げるための、試みです。
そしておそらくこの詩のすべての美しさは、そこにあります。