和製オドラデクの生活環

きみの物語は終わった/ところできみはきょう/おやつに何を食べましたか――富岡多恵子「静物」

軽率な言葉――富岡多恵子の詩作品における死について

今回は『現代詩文庫15 富岡多恵子詩集』から、とりわけ当初は詩集『女友達』(1964)にまとめられていた作品群を取り上げて、読んでみようと思います。
 
富岡多恵子は小説家や評論家として有名ですが、優れた詩人でもありました。
私の偏愛する『女友達』という詩集は、H氏賞を受賞した1958年の『返禮』より彼女が練り上げてきた独特の詩作法――平易にして饒舌で、情念を迸らせつつもとことん乾いた語法――が、ここにきて圧倒的かつ徹底的な洗練に至ったことを示したものです。*1
では、その作風とはどのようなものか。
まずは本ブログのエピグラフの引用元でもある「静物」を紹介しましょう。
 
きみの物語はおわった
ところできみはきょう
おやつになにを食べましたか
きみの母親はきのう云った
あたしゃもう死にたいよ
きみはきみの母親の手をとり
おもてへ出てどこともなく歩き
砂の色をした河を眺めたのである
 
いったん、引用を中断します。
まず、冒頭からいきなり「物語」の終了を宣告される「きみ」とは誰でしょうか。富岡は詩のなかに多くの人称代名詞を書きこみます。殆どの詩に「きみ」(まれに「きみたち」や「おまいさん」)が現れますし、またそれに対応する一人称も「あたし」「わたし」「わたくし」や「あたい」までさまざまです。YOU&Iというと基本的にはラブソングの世界ですが、面白いことに富岡の詩にはそういう湿り気が一切ありません。
きみにもわたしにも、なんというかかけがえのない実存の重みのようなものがなく、ただ紙の上をからっ風に吹かれてからからと流れる、軽い文字だけの存在であるかのようです。彼女の詩は、遊び半分に書かれたのちに道端に投げ出された、使い捨てのメッセージの寄せ集めにも似ています*2。だから彼女の詩は往々にしてポリフォニックであり、ひとつの作品の中に「わたし」と「あたし」が入り混じることもあれば、またどれが誰の発話であるかという色分けも、概して困難です(端々に現れる、どこかふざけたような演劇的言い回しも、彼女の詩の多声性を後押ししていると言えるでしょう*3)。
 
「静物」の冒頭の一行は、富岡の詩に現れるあらゆる「きみ」のステータスを宣言したものと読むことができるでしょう。つまり、殆ど言葉そのものでしかないそれらはみな、生きた実体も重苦しい同一性も記憶も人生も歴史もない、要するに「物語」を欠いた存在であると。そして「きみ」と「わたし」はあくまでも相互的な、一本の軸の両極端であるのだから、「わたし」(あたし、あたい、わたくし…)もまた、物語から解き放たれた存在である、ということです。
 
富岡の詩は全体として、「物語」をからかい、出し抜き、裏をかく仕掛けで満ち溢れています。「ところで…」というふうに話は飛ぶし(わたしの物語は終わってしまったというのに、こんなときにおやつの話だなんて!)、そもそもそんな前置きがあれば親切な方で、富岡はごく単純な言葉からなる短い詩行を書き連ねながら、視点も話題も焦点距離も、ころころ変えてゆきます。100行を超える、壮大なライフヒストリーとも読める詩のラスト間際に「アクア アクア/水をください/水わりではない」などという詮無い言葉遊びを何の気なしに差し挟んだりもするのです(「はじめてのうた」)。
 
こうしたことを念頭に置くなら以下の、なぞかけのような「静物」の末尾の意味もすんなりと理解できるように思われます。
 
きみはきのう云ったのだ
おっかさんはいつわたしを生んだのだ
きみの母親は云ったのだ
あたしゃ生きものは生まなかったよ
 
言葉のうえの「きみ」は――それゆえに「わたし」も――生きものではない。
だからこそ同じく言葉のうえで、彼らはいとも簡単に「死ぬ」こともできます。
富岡の詩には、至る所に「死」が散りばめられています。しかしそれはこれまで述べてきた人称代名詞がそうであったように、生の事象や現象としての死ではなく、ひょっとしたら「モチーフ」ですらない、言葉のうえの死、死という言葉です。例えば、
 
みっともないから
きみは
喋ろうとしていた
おじさんは死ににいったし
おばさんは帰りみちに死ぬだろう
           ――「挨拶」
 
なぜそんなにすぐに帰ってくるのですか
なぜってちょっと留守のまに
きみは死んでしまって
あたしにおかえりなさいとも云えない
           ――「まだ帰らないでよ」
 
あたしはきみがそこにいて
もうすこしするとあたしの頸のにおいに
もたれて死ぬかもしれないと思い
           ――「誕生日は何曜日だったか」
 
かれらはホテルの部屋でシャワーをあび
かれらは死なないでまたやってきた
           ――「喋らないでわたしは聴いた」
 
かの女はくる約束をした
今日はまだこないので
今日死んだのかもしれない
           ――「女友達」
 
あまりにも軽々と――もしくは軽々しく、と言うひともあるかもしれませんが――死が想起されます。ここで語られている死は誰かの一度きりの死の現実というよりも、例えば「あいつ、遅いなあ」「死んじゃってたりして?」といった、日常的な一種の、軽率な「悪い冗談」のように響きます。
単なる言葉として去来する死――しかしそれは、もっとも無責任で現実離れしているようでいて、ひょっとすると私たちにとってもっとも親しく、それゆえにもっとも具体的な死の観念なのかもしれません。死の想念がふいに去来したとき、私たちは必ずしもそれに真正面から涙を流すとは限らないし、ただ自分の奇妙な冷静さが所在なくて、冗談めかした演技で空に向かって「やれやれ」などと独りごちて済ますこともよくあることです。来ないひとを待ちながら、あるいは目の前で生きものとして蠢く恋人を眺めながら、密かな冗談のように夢想される他人の死。それはあまりにも曖昧で軽やかな死であるから、まだ誰のものでもなく、最初の他人から自分、あるいは他の友達、どこかの知らないひとびと、すべての生ける者、「往ける者」*4の間をくるくると指先で輪廻するようにめぐります。
世界の有限性――というと重苦しいけれど、ふいに訪れるアンニュイの正体というのは、煎じ詰めればだいたい、そういうことではないでしょうか。
 
富岡の詩の多声的な饒舌さは、内心で戯れにいくつもの声を演じ分けながら、しばしのアンニュイをやりすごそうとするひとの「意識の流れ」です。以前に論じた吉行理恵の詩が子供のもの思いであるとすれば、富岡のもの思いはある程度生きて大方は経験してきたヴェテランのそれであると言えるかもしれません。例えば「なみだ」という詩の一節は、そういう気だるくとりとめもないもの思いの様相を実に鋭くとらえています(「おっかさんのためじゃなくて/ひとさまがけなるいのではなくて/さみしいのでもなくて/ぜんたいにさみしくないのであって/ただお茶を飲んだあとなどに/湖のような目をしているのはさみしかった」)。
 
しかしそれでも、今回も、その結末は吉行の場合とある種パラレルなものです。
 
私たちは吉行の詩を読みながら、そこに詩的な存在であることへの憧憬と諦めを見出しました。おそらく富岡においても同じ具体的で現実的な実存の重みが、ただし今度は(詩のなかへの解放ではなく)物語からの解放を、妨げています。軽やかに人称を転がしてみせながら、それでも実際には代替不可能な生きた存在としての「きみ」や「わたし」に対するしがらみを結局、富岡は捨て去ることができないということです。
それはやはり一種の絶望かもしれません。しかし、この重石、このしがらみを欠いてしまったなら、富岡の詩は完全にオートマチックな言葉遊びになってしまっていたでしょう。それらが純粋なシニフィアンになってしまうその手前において、きみや、わたしや、その死が、ぎりぎりまで重さを失いながら今なお他ならぬきみでありわたしでありその死であり続けているからこそ、富岡の言葉は(冒頭付近で述べたように)徹底的な乾きのなかになおも情念を湛えることができました。それが「詩」であるということ、少なくとも「抒情詩」であるということです。
 
「水いらず」という短い詩が、このことを証しているように思われます。
そこにおいて饒舌さは抑制され、「わたし」と「あなた」は他にないくらい具体的で、こう言ってよければ「地に足を付けた」存在であるように見えます。彼らは軽やかに交替可能な単なる人称ではなく、一定の長さを持った人生の時間を、したがって「物語」を、引き受けています。そして死は――死はもはや去来する言葉ではなく、その先にある結末として慥かに、担われています。私たちが物語から本当に解放されるのは、実はそれからのことなのだと、富岡はひっそり、告白しています。
以下に全文を引用して、終わります。
 
あなたが紅茶をいれ
わたしがパンをやくであろう
そうしているうちに
ときたま夕方はやく
朱にそまる月の出などに気がついて
ときたまとぶらうひとなどあっても
もうそれっきりここにはきやしない
わたしたちは戸をたて錠をおろし
紅茶をいれパンをやいて
いずれ
あなたがわたしを
わたしがあなたを
庭に埋めるときがあることについて
いつものように話しあい
いつものように食物をさがしにゆくだろう
あなたかわたしが
わたしかあなたを
庭に埋める時があって
のこるひとりが紅茶をすすりながら
そのときはじめて物語を拒否するだろう
あなたの自由も
馬鹿者のする話のようなものだった
 
 

*1:しかしこの作品は同時に、富岡が詩人から小説家へと転向する契機ともなった。そのあたりの伝記的事実について、私が今現在確認できる資料としては、土田順子「富岡多恵子の作品世界の変遷におけるガートルート・スタインの影響」大正大学大学院研究論集33、2009年。

*2:二人称に宛てられた印象的なパッセージの例をいくつか挙げてみる――「きみは草枕であります/このわたくしの」(「喋らないでわたしは聴いた」)、「おまいさんはわいせつが上手であると/あたしを喜ばせた」(「去年の秋のいまごろ」)、「あなたは抽象的で/雲のようにうつくしい男です」(「なみだ」)。

*3:「あんたってば/あたいのまっすぐの髪の毛をなでて/いい子いい子してちょうだいよ」(「草でつくられた狗」)、「だいいちきみに恋人はいますかね」(「誕生日は何曜日だったか」)

*4:「女友達」の一節より。