和製オドラデクの生活環

きみの物語は終わった/ところできみはきょう/おやつに何を食べましたか――富岡多恵子「静物」

ニュースではなく、死を語るための虚構――粕谷栄市「死と愛」

「死んでしまった一人の少女に就いて、書いて置きたい」。
 
これは粕谷栄市の処女詩集『世界の構造』(1970)に収められた「死と愛」という作品の冒頭です。彼は禁欲的とさえ言えるほどの一貫性を持って、当時すでに確立されていた自身のスタイル、つまり「散文詩」というスタイルを現在に至るまで守り続けてきました。
 
日本の現代詩において「散文」という語は、多くの場合「行分けされていない詩」を指すために用いられます。詩と言ってふつう思い浮かべるのは行分け詩でしょうが、実はそうでない作品もたくさんあります。ただし粕谷の作品はそのような単なる「非行分け詩」という以上の意味で、すぐれて「散文詩」と呼ばれるべきものです。
言葉は極度に切り詰められています。読点の多い静かな文体で、2、3文が一段落を構成し、それが7から10ほど連なってひとつの作品をなします。抑制された、一見して地味な言葉が淡々と記されている印象です。初めに引いた「死と愛」の一節や、あるいは同じ詩集に収められた「海峡」の冒頭(「その孤独な若い女と、私は、一度だけ食事を共にしたことがある」)などは、極めて散文的です。
しかしそのような散文調に紛れて、突如として、しかし平然と、異様な比喩が織り込まれることがあります。例えば同じ「海峡」の二文目――「その夜はひどい雨で、界隈は、海老のように、騒がしかった」。
海老のような騒がしさ。これは紛れもない詩語です。長く奥行きのある物語を、恣意的で不均等な圧縮率で要約したかのような印象を与えるのが彼の作品の特徴です。形式のみならず、その内実においてもそれらはまさしく散文と詩の婚姻であると言えます。
 
冒頭に置き去りにしていた「死と愛」を読んでゆきましょう。
はじめの3つの段落を引用します。
 
***
 死んでしまった一人の少女に就いて、書いて置きたい。私の育った町の大きな家具屋の娘で、私の幼なじみであったのだ。
 変わった少女で、稚ない頃から、卵が嫌いだった。否、寧ろ憎悪していた。卵と卵に関するものなら、何でも、見つけ次第、叩き毀したり、引き裂いたりした。たくさんの卵を盗んで、溝に捨てた。鶏を見ると、嘔いた。
 それは、恐怖だった。或る時、卵を運ぶ老婆を、橋から突き落としたことがある。成長しても、それは癒らなかった。毎日、卵を兇器にして、人々と自らを傷つけた。いつからか、彼女は、狭い一室に閉じ込められて、生きねばならなかった。
***
 
非常に長い時間が危ういバランスで圧縮されています。
既に述べたようにこれは彼の詩の特徴です。しかしこの時間のボリュームは、こうしたダイジェスト的な形式でしか提示されえない――あるいはそれによって初めて、事後的に産みだされるものです。
この一節は希釈することができません。
これは彼が死んでしまった「一人の」かけがえのない少女に就いて書くための、唯一可能な密度です。仮に別様な文体を選んでいたなら、例えばもっと長い告白体や伝記の形式をとっていたなら、そこには全く別の物語があったでしょう。そこで憎悪されているのは卵ではなく、何か別のものであり、したがってそれは「この」少女ではなかったでしょう。
 
それはつまり、この作品が詩であるということ、そして、ゆえに虚構であるということを意味しています。
 
彼女は実在しない――と、私はあえて言いきろうと思います。卵にまつわる全て(その実在、その観念、その記憶、匂い……)を憎悪し、恐怖し、自他を傷つけ、やがては死んでゆく少女は、他ならぬ彼によって他ならぬこのスタイルで書かれた他ならぬこの作品のなかでしか存在しえません。彼女について、あと少しでも詳細を書き加えたなら、あまりにも馬鹿馬鹿しいものになってしまうのではないでしょうか。おそらくそれは、最もあってはならないことです。なぜなら、これが詩であり虚構である以上、彼が「書いて置きたい」のは、卵を憎悪しそれゆえに死んでいった少女がいたという事柄そのものではないからです。卵と少女をめぐる逸話が証だてねばならぬもの、それは私たちには誰のものかわからない、しかしかつて確かに在ったであろうひとつの生存の、張りつめた熱の記憶に他なりません。
虚構の語りは続きます。
 
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 呼ばれて、時々、私は逢いに行った。
***
 
彼女が何故自分を求めるのか彼は分かりません。彼女は彼の前でただ泣くばかりで、ひたすらに卵を罵り、時には激昂して物を破壊します。そしてその度に、謝るのです。「いつまでも、私たちは、闇の降りる部屋に、しずかに座っていた。……」。
 
そして別れが訪れます。
 
***
 彼女の死の前年、私は、家族と共に、他の町に移った。二度と、彼女に逢えなかった。彼女は、次第に兇暴になり、完全な廃人になったと言う。
 或る朝、部屋を抜け出し、郊外の線路の上で、冷たくなっていた。勤め先の冷酷な商店で、私は、それを聴いた。
***
 
「勤め先の冷酷な商店」という言葉は、移住による別離が彼女のみならず彼自身にももたらした孤独を物語っています。実際この描写は、彼が自分自身の身体を、具体的で現実的な空間においた最初の瞬間でもあります。卵を憎悪する少女と二人きりの「闇の降りる部屋」、その単純で純粋な空間は、常に既に過ぎ去ったものとして、おそらく記憶の中にしか存在しえないでしょう。それは虚構です。しかし少女の死、彼女の決定的な喪失、それだけは現実です。おそらく、それだけが現実です。あるいは「私」は彼女が「冷たくなった」その瞬間に「冷酷な商店」へと初めて生まれ落ちたのだ、とも言えるかもしれません。
彼の生存はそこでようやく始まります。最後の段落です。
 
***
 数年後、私は、兵士として、前線にいた。死の溢れる戦場で、ただ彼女を想うことが、私の支えであった。迫ってくる巨大な白い卵に向かって、必死に、射撃を続けながら、私の頭には、狂った少女のかぼそい肉体しか無かったのだ。
***
 
こうして詩は結ばれます。
この段落は、それまでの部分とは時間のフェーズが異なります。ここで「私」は、死んでしまった少女を、その「かぼそい肉体」を「想って」います。日本語の過去形が持つ曖昧なステータスゆえに、この「数年後」は少女の死に連なる過去の一時期であるとも、まさに今現在の状況であるともとれます。冒頭の「書いて置きたい」という語法には遺言的な響きがありますから、「私」は戦場で死を予感しつつそれをしたためているのだと考えても無理はないでしょう。死の知らせにまで至る彼女の生涯の簡潔な記録は、最終段落で戦場に立つ彼の――おそらくは虚構的な――記憶です。
 
私は、この作品の虚構性をことさらに強調しました。
そしてここに描かれるかぼそい肉体の死は、虚構であり詩であることにおいて、ひとつの生の、あるいは死の紛れもない現実を証だてようとしているのだとも述べました。
先程も述べたように、それが誰のものであったかということは大きな問題ではありません。それは少女でも、幼なじみでもなかったかもしれない。時間と場所と固有名がはっきりと特定される類の哀惜の経験ですら、必ずしもないと思います。顔も知らない無数の、しかしどこかですれ違ったかもしれない人々の死であるとも考えられるでしょう。厳密に誰の死も通り過ぎずに生きることなどできないし、そんな風に言うひとがあれば、それは嘘です。
 
最近、情報としてひとの死を知ることが前にもまして多くなりました。
例えばTwitterで。ひとの死の事実が、世界で生じている軽重さまざまな出来事にまぎれてニュースとして届きます。幾千もの人がそれについて何らかの言葉を述べます――そしてそれもまたニュースです。今ここで何かを言わねばならないという半ば病的な強迫によって、弔いの言葉までが情報になります。私たちは一人ひとりが衛星のように、ひとの死を報道します。
死をすぐさま言葉にする切迫が決して今に始まったことでないとしても、そしてそれが決して無意味ではないとしても、おそらく私たちはもう一つ別種の言葉を求めています。充分な時間を経て、ひとつの記憶として死を、ニュースではないかたちで語る必要があるはずです。
狂った少女の生涯についての虚構的で詩的な語りはたぶん、そのひとつの方策です。
この詩を収めた『世界の構造』という詩集には様々な死の逸話が含まれていますが、なかには具体的な、ニュースとしての死に触発されたことを明確に示している作品も幾つかあります。
例えばベトナムの焼身自殺事件をきっかけに書かれた「狂信」、そして同じくベトナムにおける公開銃殺の「報道写真」を題材とした「銃殺」。
しかしこのふたつの作品は、粕谷が知った死それ自体よりも、それを「報道」として彼にまで届けた世界の方に焦点を当てています。そしてこれらの作品には「死と愛」の静謐さとはかけ離れた、直接的な怒りの発露が見られます。
「狂信」において、彼は次のように書いています。
 
***
 しかし、それは、何ものでもあり得なかった。それは、そのまま、醜聞である。またしても、焼身自殺が行われたと、全世界に、怒号と啼泣の報道が、伝えられるのだ。群衆は、追い散らされ、広場は、洗い流されるのだ。
***
 
ニュースとしての死、死に関する言説の爆発は、それを忘却し去ってしまうためのものだと、粕谷は訴えているようです。他方の「銃殺」では、彼は繰り返し「記憶せよ」という命法を発しています。
ニュースではなく、報道ではなく、情報ではなく死を語ること。
「死と愛」はそのための、つまり個人的な記憶と哀悼の穏やかな空間をせめて虚構というステータスにおいて死者に捧げるための、試みです。
そしておそらくこの詩のすべての美しさは、そこにあります。