和製オドラデクの生活環

きみの物語は終わった/ところできみはきょう/おやつに何を食べましたか――富岡多恵子「静物」

メンヘラ・こじらせ・屈折

人間椅子・和嶋慎治の自伝『屈折くん』(シンコーミュージック、2017年)の帯文に次のような記述があった。 「メンヘラ」でも「こじらせ」でもない、僕を作ったのは“屈折"だった―― メンヘラ・こじらせ・屈折の三幅対。これを目にしたとき、わたしは文字通り…

餓死について

断食芸人といえばカフカである。安部公房にも『飢餓同盟』なる作品がある。どうも「飢え」というテーマは「不条理」と呼ばれるジャンルと相性がいいらしく、日本の不条理演劇の第一人者である別役実にも同様の関心が見られる。たとえば戯曲「獏」にはそのも…

「優等生」批判についての覚え書

私と同年代(昭和末期から平成一桁生まれのひと)の方であれば「0点チャンピオン」という歌をご存知かと思う。NHK教育のアニメ版「忍たま乱太郎」のエンディングテーマのひとつだが、Aメロ部分の歌いだしは次のようなものである。 お勉強ばかり がんばっても…

寸評アーカイブ(8/27~11/2)――ハネケ、橋本治、柄谷行人etc.

以下は8月末から11月頭にかけて、本や映画、演劇などについて主にTwitter上で発信した短めのコメントを加筆修正のうえでまとめたものです。 8/27 ミヒャエル・ハネケ『タイム・オブ・ザ・ウルフ』 珍しく救いを感じさせるエンディング。いい映画だったと思う…

フィクションの無益――「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のこと

なんとなく観ずに済ませてきたトリアーの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を今更ながら鑑賞した。それによって、これまで観るのを渋ってきたことの正当性はしっかりと裏付けられた。つまり私はこの作品を「初めから救いがないと分かっている話を追うのはつら…

田崎英明『ジェンダー/セクシュアリティ(シリーズ・思考のフロンティア)』と『無能な者たちの共同体』のためのノート

以下は岩波書店の叢書「思考のフロンティア」の一冊として刊行された田崎英明『ジェンダー/セクシュアリティ』(2000年/以下GS)および同じ著者による単著『無能な者たちの共同体』(未來社、2007年/以下CI)からの引用の羅列である。 晦渋とも柔和ともつ…

レオ・ベルサーニ&アダム・フィリップス『親密性』檜垣立哉・宮澤由歌訳、洛北出版

非常に魅力的な――あるいは誘惑的な――書物である。 というのはつまり、出会うタイミングによっては自分の実存を不当なまでに読み込んでしまいかねない、そういう類の一冊であるということだ。 要するに問題は自己と他者、そして愛に関わっているのだから。 …

あやふやな世界のホメオスタシス――panpanyaについて

panpanyaとは何か。人名である。誰の名か。漫画家である。 私家版の作品集2冊を一般流通向けに再編集した『足摺り水族館』(1月と7月、2013年)が実質的なデビュー作*1。現在は同人活動と並行して白泉社の「恋愛系」コミック雑誌『楽園 Le Paradis』に短…

高橋源一郎『「悪」と戦う』、河出文庫

「高橋源一郎らしさ」とは何か。それを定義するのは意外にも難しい。 もちろん「いかにも高橋らしいパッセージ」を抜き出してみせることはいくらでも可能だ。けれどその特徴を「物真似」できるほどに分析するというようなことは、例えば村上春樹などと比べる…

ぼくのトラウマまんが遍歴

今回は趣向を変えて「ぼくのトラウマまんが遍歴」を一席。 小学校から大学までぼくの心に何らかの痕跡を残した漫画を鑑賞年代順に紹介するというそれだけである。 完全な思い付きであり、特にはっきりした動機があって書いたわけではない。したがってさして…

ジョーン・W・スコット『ヴェールの政治学』李 孝徳訳、みすず書房

タイトルにある「ヴェール」とは、「ムスリム」女性のヘッドスカーフ(ヒジャブ)――特に1989年以降のフランスにおいて激しい論争の的となってきたそれ――を指している。 フランスでは2004年に公立学校におけるヘッドスカーフ着用を規制する法律が可決され、20…

書くことと読むことのぎりぎりの倫理――千葉雅也『動きすぎてはいけない』について

以下は千葉雅也『動きすぎてはいけない』(河出書房新社、2013年)に関する書評めいた文章です。もう一年以上前に、公にするあてもなく書いた文章ですが、割と気に入っていたので加筆修正のうえ、ここに再録しようと思います。 **************…

軽率な言葉――富岡多恵子の詩作品における死について

今回は『現代詩文庫15 富岡多恵子詩集』から、とりわけ当初は詩集『女友達』(1964)にまとめられていた作品群を取り上げて、読んでみようと思います。 富岡多恵子は小説家や評論家として有名ですが、優れた詩人でもありました。 私の偏愛する『女友達』とい…

ニュースではなく、死を語るための虚構――粕谷栄市「死と愛」

「死んでしまった一人の少女に就いて、書いて置きたい」。 これは粕谷栄市の処女詩集『世界の構造』(1970)に収められた「死と愛」という作品の冒頭です。彼は禁欲的とさえ言えるほどの一貫性を持って、当時すでに確立されていた自身のスタイル、つまり「散…

扉の前で、もの思う子供――吉行理恵の詩的自我

以下の記事は、2014年の秋に個人的に書いていたものです。 加筆修正のうえこのブログに転載し、公開しようと思います。 ***************************************************************** 吉行理恵(1939-2006)という詩人がいます。 あの吉行一家の末っ…